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旋盤の歴史

旋盤の歴史を紹介

一般に、初期の旋盤はイギリスのモーズリーが、それまで手持ちで刃物を、回転する工作物に押し当てて加工していたものを、1780年頃に刃物台を機械送りにして、親ネジの交換もできるようにした機械旋盤を作ったのが最初と言われています。(ロンドン科学博物館)

イギリス・ヘンリー・モーズリー作(1878年)
株式会社 東洋アソシエイツ | TOYOAS NEWS | 旋盤の歴史 | ヘンリー・モーズリー作・旋盤

モーズリーが製作した全金属製のねじ切り盤。刃物台は親ネジによって自動送りされ、ベッドは2本の断面が三角形の鉄棒で構成されています。この旋盤により、モーズリーは世界で最も有名な近代工作機械の元祖と称されるようになりました。

日本でも、旋盤の概念はろくろの原理や8世紀の百万塔に見られるように、古くから知られておりましたが、金属加工用の工作機械は幕末の幕府および雄藩による欧米からの輸入が始まりと言われています。

明治9年(1876年) 伊藤嘉平治による足踏み式旋盤

株式会社 東洋アソシエイツ | TOYOAS NEWS | 伊藤嘉平治の旋盤

(出典:日本工業大学工業技術博物館)

海外ではワグネルガの足踏み式旋盤、同時期と思われる時代の手回し式旋盤などがありました。

株式会社 東洋アソシエイツ | TOYOAS NEWS | 手回し動力旋盤
(出典:日本工業大学工業技術博物館)
株式会社 東洋アソシエイツ | TOYOAS NEWS | ワグネルガの足踏み式旋盤(複製)
(出典:日本工業大学工業技術博物館)
手回し動力旋盤(江戸末期)
ワグネルガの足踏み式旋盤(複製)
 
 

またその後日本では、明治22年に池貝正太郎により本格的な国産旋盤が作られましたが、動力は人力でした。明治28年、蒸気機関の動力が取り付けられるようになり、以後モーターとベルトを使っての駆動に変わっていきます。昭和30年頃まで工場では盛んにこのベルト方式使われていました。

昭和初期初期の町工場の様子と旋盤

株式会社 東洋アソシエイツ | TOYOAS NEWS | 昭和初期の町工場
(出典:日本工業大学工業技術博物館)

株式会社 東洋アソシエイツ | TOYOAS NEWS | 明治40年頃の町工場
(出典:日本工業大学工業技術博物館)
株式会社 東洋アソシエイツ | TOYOAS NEWS | 朝鮮特需の頃の旋盤
(出典:日本工業大学工業技術博物館)
株式会社 東洋アソシエイツ | TOYOAS NEWS | 昭和初期の町工場の様子
(出典:日本工業大学工業技術博物館)
写真は、明治40年東京市芝区三田に創業以降65年間創業を続けた典型的な町工場です。屋根に置かれたモーターと旋盤を駆動ベルトでつないで回転させました。

故会長も台東区に生まれ育ち、その家の写真と同様の町工場だったそうです。同工場は朝鮮特需の頃は夜遅くまでフル操業していたと回顧しています。旋盤は工場での機械加工に使用される汎用旋盤が永く主流を占めておりましたが、昭和45年頃から、DIY、ホビー用に、イギリスのマイフォードやオーストリアのエムコ社によって本格的に作られはじめ、その後アジアに流れ安価になり次第に個人でも使用されるようになりました。現在は弊社《精密ミニ旋盤コンパクト3》のような小型の旋盤から始まり多くのホビー旋盤が流通しています。



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